皆さんは、「マトリックス」という映画を見て何かを感じはしなかったでしょうか。
例えば、「これ、あり得るかも」とか。
僕は、「我々が生きている(と思っている)現実は本当に現実なのか?そもそも現実とは?」と考えました。
これはもう哲学的な問題なので、全く答えを得たわけではないのですが、今回の記事では、同じような疑問を抱えた皆さんとともに、僕なりに解釈したものと、そこから得たものをシェアできればと思います。
1現実を生きるとはとういうことなのか
結論として、現実を生きるというのは、「我々が個人ごとに作り出す現実の中で、時には自分の望むように、または望まない形に現実を変容させながらその現実に対して行動すること」であると考えられます。
個人ごとに現実が作り出されているなんて、とても信じられないかもしれません。
根拠や先行研究を交えながら、以下で詳しく僕の考えを説明していきます。
2現実とはなんだ?
「マトリックス」という映画の根本的な背景には、世界はコンピューター(AI)によって支配されているという設定があります。
その中で人間はただの燃料。我々が生物を食すように、AIは人間の電力を食しているのです。
問題は、燃料にされている人間たちが現実と区別のつかない夢を見ているということ。
僕はこの、現実と区別のつかない夢という点に非常に興味を持ちました。つまり、「では現実とは一体何なんだ?」と思ったわけです。
マトリックスでは、”現実”は人間の脳の単なる電気信号による活動の結果であるとされています。
この設定でいくと、我々は現実を見ているのではなく、外界を見て自分自身で現実を作っている、ということになります。
そして、その「外界」が何であろうと同じ電気信号が脳内で行われれば、同じ現実を見るということになります。
反対に、我々が普段思い描く”現実”は現実が大元、我々はあくまでその現実を脳内に投影しているだけ、というものかと思います。
外界を脳内に投影したものが現実ですから、外界が変化すれば現実は変化しますし、誰にとっても同じ現実が見えるはずです。
この二つで比較しただけでも、”電気信号によって変化する現実”と”普遍的な現実”が存在することになります。
電気信号ではありませんが、現実と我々が見ているものは異なる、という考え方は古くからありました。
高名な哲学者カントによると、“我々が見ている世界は、生のデータの寄せ集めではなく、生まれつき備わった鋳型で加工されたもの(=表象)にすぎない”といいます。
そのため、“本当の世界(物自体)”を我々が知ることはできない。だが、知ることはできないが“本当の世界”は存在するとカントは言います。
なぜなら、未加工の生データがなければ加工もできないため。
誤解を恐れずにいえば、我々が普段見ている現実と“本当の現実”の間にはズレがある、と語っています。
これまた高名な哲学者デカルトも、
「われ思う、故にわれ有り(Je pense, donc je suis)」
という言葉が有名ですが、実はこの言葉も、我々の捉えている現実と実際の現実が異なるという考えを暗に示しているものだといわれています。
上記の言葉を説明するため、デカルトは以下のような思考実験をしています。
それは、「もし全知全能の悪魔が私を欺いているとしたら、本当は1+1=5であるのに、『1+1=』と私が思考するたびに、悪魔に欺かれて『2』を導き出してしまっている可能性がある」というものです。
つまり、われわれが現実だと思っているものは、全て悪魔に欺かれた結果に過ぎず、“本当の現実”は全く別物であるかもしれないというのです。
このデカルトの思考実験も「われわれの通常の現実は嘘で、“本物の現実”はわれわれの知らないところにある」という考えを示しています。
こういうことを考えていると、現実は本当に私たちが日常的に考えている”普遍的な現実”なのか?という疑問に襲われますよね。
僕は、現実はただ一つのものではなく、我々の捉え方によって変化するものであるという立場をとります。
面白そうだから、という理由もありますが、しっかりした根拠もあります。簡単に例をだして説明します。我々は、目や耳、手や口などたくさんの器官によって吸収した情報を処理することで外界を捉えますよね。
では、このような方法で捉えた現実はだれにとっても同じものでしょうか。
いいえ、絶対に違うはずです。なぜなら我々には個人差があるから。
色でいうと分かりやすいですが、色の見え方は同じではなく、人の数だけ差があるはずですよね。この意味で、我々はそれぞれ違う現実を見ているんじゃないかな、と考えています。
現実とはなんだ?ということでしたが、以上のことから、現実は我々が通常イメージする現実ではなく、個人の捉え方によって変化するいろいろなバリエーションを持つものであると考えられます。
3我々が見ている現実は本当に現実か?
そうなると必然的に出てくるのは、「現実が個人によって変化するものなら、我々の見ている現実は本物の現実なのか?」という疑問です。
もしかすると実際の僕はずっと眠っていて、夢を見ているだけじゃないのか?という疑問ですね。
結論から言うと、それはだれにもわかりません。
なぜなら、我々は今のこの世界を現実だと捉えているのですから、実際の現実が全く違うものであってもそれを捉える術がないからです。
我々の見ている現実は個人ごとに異なるが、我々の捉える現実と実際の現実の違いを捉えることはできない。これが我々の状況です。
4ここから得られるヒント
なんともはっきりしない結論ですが、この結論には人生を楽に生きるためのヒントが隠されているのではないでしょうか。
それは、現実は我々の心持ちによって変化させることが出来る、ということです。具体的な例を用いて考えます。
二人の人間、AとBがいるとして、Aは楽観的な性格、Bは悲観的な性格だとします。
仕事をしていて、Aは別に自分が実は役に立っていないなんて考えもしない、Bはもしかすると自分は役に立っていないんじゃないかと思っているとします。
こういう場合、全く同じ仕事環境、仕事仲間の態度であっても、AとBで仕事仲間の見え方は違ってきます。
つまり、Aにとっては単なる仕事仲間もしくは優しい仕事仲間に見え、Bにとっては怒っていそうだな、先輩との今の会話は注意だったんじゃないか、というように全く違う世界が見えています。
これは心理学でいうところの、「感情状態による認知の違い」でして、例えば、他人を知るときに手がかりとするスキーマという枠組みが、感情状態や感情特性によって変化するという先行研究が複数あります(Forgas, J. P., Bower, G. H., & Krantz, S., 1984 et al)。
つまり、自分が持っている感情によって、全く同じビデオを見たとしても、登場人物が何を考えているかが違って捉えられるということです。
そんなこと言っても感情なんてどうにもならないし、それを知って何になるんだ、と思われるかもしれませんが、これを知っているのであれば、相手が自分にマイナスな感情を持っているんじゃないかな、と思ったときに、それは自分の感情によってそう見えてしまっているだけだ、と考えることが出来ます。
これって結構大きくないですかね。
勘違いして自分を消耗することが無いですし、他人の評価を気にしがちな人でも他人の評価を気にしなくて済むようになるかもしれません。
そして、これこそが「自分の望むように現実を書き換える」という行動なのです。
5まとめ
今回は、マトリックスから、現実を生きるとはどういうことかについて考えてきました。
一本の洋画でありながら、大昔から考えられてきた「現実とは」という問いに対して考えさせられるきっかけとなる映画でした。
まとめに一言述べるとすれば、それは「現実は変えられる、故に未来も決まってはいない」です。
完全な事実であり、受け入れるしかないと考えがちな現実は変えられるという考えに至れたのは大きな成長でした。
そして、今感じている現実を変えられるのであれば、未来も変えられるということになります。その時々の現実を変えていけばいいわけですから。
いろいろな考え方があるのは承知していますが、もし同意していただけたのなら、活用してもらえればと思います。
では~(@^^)/~~~
では今回はここまで。
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